diary

主にコンピュータ技術関連のことを投稿。 / 投稿は個人の意見であり所属団体の立場を代表するものではありません。

10年を振り返る

先日30歳の誕生日を迎え、今日は仕事納めです。思考の変遷を振り返ってみたい気持ちになりました。

20歳頃

まだ高校生だった気がします。その後ニートとフリーターを行ったり来たりで。

狂ったようにカラオケに行ったり、原付でツーリングに行ったりしても、「本当はこんなことやってる場合じゃない」という苦しい気持ちが常にありました。このままでは自分はダメなんだ、明日は正しいことをするんだ、と毎日思うものの、秋田の凍りつくような寒さと、時給600円の激安スーパー店レジバイトの前ではなんの役にも立たない決心でした。

弟が大学に落ちて予備校に行くというので、なんとか自分を変えようと思い同じ予備校へ入り、高校生に混じって勉強しました。

会津大学という超コスパのいいコンピュータ専門の単科大学があり、割と簡単かつ受験科目が少ないというので運よく潜り込めました。

23歳〜

もともと計算機と Linux が好きだったので1年目はチートできました。ただ、勉強習慣が無かったので数学系はどうやって単位を取ったのか覚えていないくらい身につきませんでした。さらに睡眠の習慣すら無かったので、人間関係とかソフトスキル的なものは破滅していたと思います。

この頃考えていたのは就職のことです。ワープワ脳なので3年目くらいまで本気で正規雇用をゴールにしていました。今思うと本当に低いハードル設定だと思うんですが、当時は東北近辺で中小企業に入れれば最高だな😸 と思っていました。

ただ、大学というのは自分にとっては蜘蛛の糸です。せっかくのチャンスだから会津大学でできることには全部関わろうと思いいろんなイベントに参加して活動しました。ハッカソンとか勉強会とか。あと大学周辺ベンチャーの Eyes, JAPAN という会社でバイトをして大変お世話になりました。その辺りで出会った人々から、コンピュータエンジニアとしての習慣を吸収しました。

就職時の年齢を気にしていたので飛び級制度を使い、学部3年+院2年で卒業することに決め、指導教員の先生のご指導のおかげでなんとか大学院に進めました。

26歳〜

コンピュータの動作原理を知っておきたかったので、奥山先生の研究室で回路設計を勉強しました。ただ、どういう技術トピックで他者と差別化するのかという考えばかりが強く、寄り道に多くの時間を使ってしまいました。

この頃考えていたのは「コンピュータエンジニアとして」どうするのか、という縛りでした。今思えば囚われ過ぎでしたが、ゴールも変わりました。就職を考える上でエンジニアとして社会とどう付き合っていくのかいうことです。

そこでエンジニアの働きは社会貢献に尽きるという信条を見出し、それを軸に仕事を探しました。新卒求人を始めたばかりのクラウドの会社があり、考え方が非常にマッチしていたので運よく拾っていただきました。

なんとか働いています。

社会人1年目は、睡眠とか勉強習慣とか、ツケにしていた問題が表面化していました。成果は出ないし体調は崩すしで、エンジニア云々以前の体のバグフィックスに時間を費やしました。

2年目になって気づいたのが、学生の時に必死になっていた技術的な知識の役の立たなさです。エンジニアの仕事は知識を持つことではなくて、問題を解決することです。これは技術の分野はあまり関係ないなと思いました。したがって、今はある程度専門性はあるものの固有の技術について固執していません。また、大学の頃のように、誰かの課題を解決できているわけではないのに表面的な雰囲気(githubとかね)を作ろうとするのはきっぱり辞めました。

そして昔と違って、これからどうなりたいのかはあまり思いつきません... まずはちゃんと人の役に立ちたいです。


そもそもなんでこの記事書いてるんでしょうね。とりあえず、自分の20歳の頃と似たような若者が居たら励ましたいです。こういう人の空白期間ってマジで空白ですからね。海外でバックパッカーとかしてたりしないですし。

振り返ってみると大きなステップを超えていくたびに考えていることがどんどん洗練されていくもんだなと感じます。20歳の自分のまま同じことを繰り返して歳を取っても、こうはならないと思います。