海外派遣で得たもの

お久しぶりです。

渡航直後に書くべきだった報告だが、あまりにも経験が多くて整理できず記事にしていなかった。おそらく、無理矢理にでも書くことで消化すべきだったのだろうけれど。

あれから半年経ったが、

  • なにを得るつもりで
  • なにをして
  • なにを得たのか

今日になって整理できたので途中まで記す。残りはさらに数ヶ月後に書く。

なにを得るつもりだったのか

特にコンピュータ専門の会津大学において、"コンピュータギークたち"と"グローバル人材を志す人たち"は全く交わらない集団だ。私はその橋渡しになるつもりだった。照れくさいから前回のエントリには書いていない。

なにをしたのか

前回書いた目標の達成は困難だった。しかし目標を具体的に立てて行動したこと自体は有意義だった。ただの旅行にしようとは思わなかったからだ。

周りの日本人メンバーがディナーに行っている間も1人図書館で深夜まで宿題をやっていた。授業で質問するほどの英語力が無いことに苛立ち日中も授業以外で部屋から出ず、英語の勉強をしていた日も多かった。ルームメイトの週末のパーティに混ぜてもらうか2時間も泣きながら考えて、やっとの思いで声をかけたこともあった。

自分を追いつめ、リスクのある場に居ないと損した気になる性格だから、うまく行かない葛藤があったことは今思えば良かったと思う。

なにを得たのか

ブラジル人留学生たちが滞在中にとても親切にしてくれた。彼らが日本文化を割と正確に把握していたことに驚いた。私は 、ブラジルへの日本人移民の歴史を私は何も知らなかった。もの凄く恥ずかしくて、深夜に焦ってWikipediaを開いて勉強した。

また、当時は反日デモとかあったしネット上のヘイトスピーチが加熱していた時期だったが、アジア人留学生たちは、日中韓分け隔てなく皆協力しあっていた。

なにを得たのかというと、自分が何者かを知った。英語が出来ない、かといって日本が何なのかも知らない日本人であることを知った。

当初の"橋渡し"の目標は、帰国半年後もこれっぽっちも達成できていない。想定を越えることが沢山あった。

「グローバル人材」が嫌いだった

私は、渡航前はグローバル人材という言葉が嫌いだった。全ては、コミュニケーション能力で片付く話だと思っていた。東北人と関西人だって違う文化がある。年齢、性別でも格差がある。それが国とかに拡張されるだけだと信じていた。何も持たない人がわざわざグローバル人材という言葉に頼って何か持った気になるだけではないかと。だって、そもそも日本人同士のコミュニケーションすらうまく取れないのに。


少しでもそんな風に思っていた自分が今は恥ずかしい。目標にしていた橋渡しは別の視点からも可能なのだ。むしろ、私のエンジニアとしての信念からグローバル人材の要素は必須だったことが分かった。なんかぼかして書いてるけれども、まだ次の計画があるので試行し数ヶ月後につづきを書くことにする。